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CC56: 567収束までに達成したい56リスト

Day-185 才能と努力に関する考察 1

才能と努力の本質とは何か、いつも考えています。 これを理解することで自分の能力を伸ばすための一助になるかもしれないという希望があるからです。

いくつか仮説は立てているのですが、いままでに何度も考え方が変わったり、それぞれの仮説に矛盾があったりしてこんがらがってきたので一旦まとめてみようと思いました。

(Keynoteのスライドで作って、1枚にまとめるために文字サイズを小さくしたので、スマホだと拡大しないと見にくいかもしれません。)

才能と努力に関する考察

今の僕の考え方は、以下のような2つの視点と1つの制約がある、というスタンスです。

  • 1つめの視点「修正力ベース」
  • 2つめの視点「器ベース」
  • 能力上昇のリプシッツ制約

それぞれの理屈は互いに対して矛盾があったり、才能や努力を説明しきれない部分があったりします。 むしろ、才能と努力とは、立てる仮説に依存して姿を変える幻覚のようなもの、とこの記事を書いていて改めて感じました。 ただ、幻覚でもいいので追いかけて何かを手に入れたいとは思っています。

1つめの視点「修正力ベース」

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修正力ベースの視点での、才能と努力の責任

誰しも才能について考えるときは、目標となる存在や、理想があると思います。 この考えでは、それらの目標・理想に対し自分をいかに近づけていくか、という意味でひたすら「修正」を加えていく感じです。

ひたすら修正のサイクルを回すことで実力を伸ばすというのは、才能や実力に対し論じるときによく話題になります。

自分の間違った部分を修正できるか否かは、割と「」で決まると思います。 たとえば、気まぐれで実力者が成長のヒントを与えてくれると、大きく改善できるときがあります。 別の例だと、絵を何枚を描いているうちにたまたま自分のおかしい場所を見つけたりします(「気づき」みたいなもの)。

また、運に頼らず1サイクルあたりの効率を求めることも当然であり、これはメタ認知的な「修正力を改善する力」になります。 自分のアウトプットから、「修正力」自体を修正するようなフィードバックをかける能力です。 さらに深堀りすると、「修正力を改善する力を改善する力」…となっていくのですが、この理屈だと無限後退してしまって説明できないので今回は議論しません。

話を戻すと、「サイクルをまわす回数」の根本は何から来るか。これは、「体力」と「スピード」が主成分になると思います。 考え方は「時間x速度=距離」とほぼ同等です。

また、気合やテンションで一時的にスピードや試行回数を上げることはできますが、大域的に見るとほぼ誤差のようなレベルに落ち着くはずです。

つまり、今度は「体力」と「スピード」をそれぞれどうやって改善するかという話になります。

体力に影響する大きな要因は、「免疫力」と「回復力」だと僕は考えています。 そしてこれらを支配している要素で特に影響が大きいのが「遺伝」「知識」「習慣」だと感じています。 「知識」というのは、例えば健康に関する知識とか、栄養に関する知識とかそういうものの集まりです。

スピードに影響する大きな要因は、「運動神経」と「学習と経験」と考えています。 「運動神経」の例として、タイピングの速さなどが挙げられます。タイピングの速度が倍違えば、パソコンで行う作業のサイクル数で大幅に差が付きます。 「学習と経験」の例は、ショートカットキーとか、やらなくて良いことをしないとか、そういう積み重ね的な要素で結構色々なものが該当すると思います。

まとめると、修正力ベースの考え方でどうにもならないのが「遺伝」「運」です。この2つを才能ということにします。

自分の力で変化を起こせるのが、「知識」「習慣」「学習と経験」ということになります。つまりこれらは努力です。

修正力ベースの考え方は、「修正力」を起点として、因子を分解していくことで才能と努力を明確に区切るということをしています。

考え方によって、別の分解パターンや、さらなる分解パターンもあるはずです。 例えば、「運動神経」は「プルキンエ細胞の正常性」や「シナプスの結合レベル」などに由来するはずです。ただ、ここまでやると逆に分かりにくくなるので今回は扱いません。

少し長くなってしまったので、続きは明日書きます。